どうも昔から生きづらいのだけど、
これは根本として
(幻覚やら、多重人格的な問題もあるけれど)
環境システムがよくないのだと思う。
環境システムがクソすぎるんだと思う。
不和が出来るように綿密に設計されていて
見えない意図がビンビンに感じる
このつながりと環境のことを考えると
単純に
「争いたい」わけでもないけど
うまいこと「意図できない」ようにしてるんだとおもう。
目隠しのようなものをされていて
勝手に争いが起きるようにされている。
詰まらないように仕組まれている。
それを関わっていきたいと
思うんですけどね。
きっと
なんとも言えないけど、
「たのしい」とか「居心地いい」とか
そういうふんわりしたものが
1番ほっしてるのに
1番遠いんだなぁと思うんですね。
人と人がつながったりする事で
相互作用が起こるんだけど、
これはきっと意図的ではあまりよろしくないのだと感じるんですね。
少し前までは
問題を抱えてるグループと
解決できる存在が交流して
新しいシステムが出来るのがよい。
と、思っていたのですが、
実は、そうではないのだなとおもうんですよ。
例えば、洒落た家具が欲しいから
作ってほしい。
とかだったら、きっと
洒落た家具の後ろ側に
会いたい人がおるんですよね。
これはすごく難しい問題で、
ぼくは「美容師を選ぶのがものすごい難しい」と感じる人種なんですけど、
「髪を切る技量」を求めながら
「髪を切ることに覚悟がある人」と
「自分の未来をいい感じに想像してる人」を求めてるんですよね。
ただでさえ、
美容師さんの中に技量が曖昧なのを、
「しゃべくり」や「ビジュアル」でのらりくらりする人がいる中、
技量があり、
自分のイメージを反映してくれる人って
「まぁ、難しい」と感じます。
まだ形になってない未来を
「こんな感じよね?」って
感じ取ってくれる人。
この共感できるパワーみたいなのが
絶対的に必要で、
ビジョンの共有とか分かりやすい言葉を使えば
分かりやすく言えるけど
ビジョンの共有した結果の未来がほしいのではなくて、
ビジョンの創造なのよね。
すでにお互いにあるものを共有するのではなくて、
お互い微細なものが入り混じった結果の
息吹の美しさを感じたいわけですよ。
それには自発性と想像力があり
ある程度経験や、背景の共有が必要で、
すごく難しい、と改めて思います。
でも、
その新しいものに触れようとしてるお互いから
見たこともないものが現れる瞬間は
すごくいいよね。と思う。
そういう瞬間に待ち焦がれています。
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