何かに挑戦して
失敗した時、
「なんでもっと○○しなかった!」や
「かっこわるい!」とか
自分をけなしたりするだろうか。
こんな内容はだいたいどうでも良いことなので、そんな癖はいますぐおさらばしよう。
大切なのは、自分が
「新しい試みをトライできたかどうか」だ。
それができれば心の中で自分を褒めちぎっていいと思う。
先日、某メーカー勤務の方とお話しする機会があったのだが
「35年間勤務して、失敗した感覚が一度もなかった」ということを聞いた。
クリエィティブな仕事なので本来は失敗の連続のはずのだが、失敗したという自覚が全くなかったのだという。
これを聞いて「なんてポジティブなんだ」と思うかもしれない。
しかし、実はこれ。
考え方がポジティブなのではない。
一般的に失敗は転けて膝をすりむくような事とされるが、話を聞いてみると、彼にとっては通り道でしかなったらしい。
僕も言われてみれば彼と似たような体験をしたことがある。
僕がヒッチハイクした時のことだ。
ヒッチハイクはいくつかやり方があるのだがテクニックより基本的には運なので、3時間まつこともあれば、5分で移動ができることもある。
これを何度も繰り返していると
「次はいつ移動できるか」とか
「いつまでにここにいかねばならないのに」とか「今日は順調だ」とか考えるようになる。
失敗すれば、「最悪だ」と思ったりもしていた。
しかし、
あるとき1時間ほどまっていると、自分の空間に
「失敗の蓄積量が足りない」という
不思議な感覚がわきあがってきた。
土地柄や地域性で「やりやすいとかやりにくいとか」「ドライとか暖かみがあるとか」そういう雰囲気ではなく、
自分の失敗が空間に満ちていないと感じた。
それはそのとき以降何度か起きていて、「ちゃんと必要な失敗量が基準に達したのであとは待つだけだ」と感じることさえあった。
その後、ものの5分しないうちに車に乗せて頂けることになった。
この経験を通して
僕は失敗は預金に似ていると思った。
正しく積み立てれば、成功という形で引き下ろせるのだと思う。
メーカー勤務の彼はこうも言っていた
『失敗はひとつのシーンでしかなくて、結局「失敗」がないと成功が成り立たないのだ。』と。
人間、何か克服するよりは失敗することから逃げがちだ。
しかし、絶対にどんと向かっていったほうがいい。
なぜなら失敗の一番大きな収穫である
自分のことを「理解する最高の材料」を手にできるからだ。
自分が何に向いているか向いてないかがわかるし、そこから工夫することで自分に対しての信頼のようなものが産まれてくる。
きっとこれは「○○ができなかった」事実の発見と「○○はできた」という事実の発見がほぼ同義で、自信につながるのだと思う。
そして派手に失敗しそうな時ほど、派手に失敗してみてはどうかと提案したい。
野球で言えば、渾身のスイングが空振りかもしれない。
しかし、その渾身であればあるほど、
「あ、これじゃない」という感覚はしっかりと体感できる。
送りバントの無難な失敗では、わからないハッキリとした的外れ感覚が
君を正しく方向づけてくれるのだ。
しかし
ここで、誰か偉い人の言葉を鵜呑みにしたり、判断を他者にゆだねてはいけない。失敗しても、改善点がわからず
「ゆだねた先が間違っていた」となり、さらに別のゆだね場所に流されていく。
これでは自分に対しての理解も深まらなければただ漂流しているだけになってしまう。
場所によっては、さもそれらしい言葉を聞かされ、お金を要求し、あなたを安心させてくるが、彼らは責任をとってくれない。
なにより、他者は自分の言葉は理解してくれても、自分の感覚は自分にしか理解できないし、どうしたいかも自分にしかわからないのだからである。
そこは君が責任を追わなければならない。
そして、もし君がそれを理解することができれば、もう成功したも同然だ。
あとは失敗という経由地点を通って、
いつかは君が望む地にたどり着くはずだし、自分で選んだ道に失敗があっても「やむなし」と思えるのだ。
そして、自分が努力をしていなかったことも悔やまなくていい。
行動して失敗という標識を目にすることができれば、自ずと進むべき道は自分が教えてくれるものだ。
命に関わる失敗なんてものも
現代社会ではそんなに多くないので
失敗したら「次」にいけばよいのだ。
メーカーの彼が僕に
「つまらない失敗はしないように」と最後にアドバイスをくれた。
僕も小さな失敗より
アグレッシブで派手な失敗の方がわくわくする。
何を馬鹿なことを言っているんだと思うかもしれないが
この派手な失敗の爆発力こそが、
成功の華やかさを証明しているのだ。
どうせなら派手で楽しい失敗シーンから、成功のエンドロールまでを描くのが痛快でいいものだと思っている。
もちろんそこには「どうなるかわからない」のだが、この未知の可能性こそ「失敗と成功」の一番の醍醐味である。
ぜひそれを楽しむことを始めてもらいたい。
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