いのちを受け入れる手順

猫の世界にいった話
先日から猫と暮らしたいと思っている。
もともと無類の猫好きなのだが、
彼らはすばらしい。
品格があり
自己決定がとても純粋だ。
何をしていてもかわいいし
何をする時も自由だ。
猫にはおそらく
けものらしい猫と
何かを宿している猫がいると思う。
美しさとか神秘的とか
ぼんやりとした言葉でしか言えないのだけれども
なにかまぶしさを放つ猫が20匹に1匹いたりする。
どんな猫と暮らしたいかということを考えると
容姿も大切だが、
このまぶしさをもった
あまりけものっぽくない彼らがいいなと思っていた。
そんなことをリアルに想像しすぎたせいか
今日夢で、猫界なる世界にいっていた。
これは完全に猫たちの見えない世界で
猫にも徳があるらしく
徳の高い猫と
普通の猫の世界が広がっていた。
ここで猫の神様的な方から
「君はだれと過ごしたいんだい?」と聞かれた
とはいっても
みなひかっている猫のフォルムだけで
見た目はかわらないのだが
ながめていると
輝きに個性や美しさが微妙に異なっていた。
そこでぼくは3匹ほど
「この子たちのだれかがいいです」と答えた。
と、この瞬間に
選んだ猫たちの望みの生活が僕の中に
流れ込んできた。
このような住処がよくて、
ごはんはいっぱい食べたいみたいとか
そんな簡単な願望だったのだが、
それがものすごく重たいことだと感じた。
平たく言えば、命の重たさなのだと思う。
生き物の死にふれたことがある経験から
わかっていたつもりだったが、
あの場では
彼たちの望みを叶えた時の喜びよう。
彼らの気持ち
彼らの期待
そういうのが一瞬で感覚できたのだが
これが、とんでもなく重たかった。
この子たちにどんな人生を与えることができるのか。
真剣に聞かれた気になった。
途端に、
「しまった。まだ一人暮らしをする算段ができてなかった…」と思って
若干血の気が引いた。
普通に考えれば、
そんなことどうにでもなると思えるのだが、
その必要最低限のことを怠っている、想定していない自分にゾッとしていた。
この命を軽く思っていたということを示してしまうことになるからだ。
ここまで来たのに、
彼らに時間をとってもらって
見にいったのに、
なんて失礼なことを、、!
と考えた瞬間に目が覚めた。
ぼくたちは命にふれることができない。
肉体をさわって鼓動を感じることができて
生きていることを目の当たりにできたとしても
その実態に重たさを感じることが出来ない。
しかし、普段体感できない重たさを
今回の夢を通して、体験できた。
また、
ぼくは命はどこからやってきているのかというのも
「こんな仕組みなのか」となぜか腑に落ちた。
きっと自分が子どもをはぐくむときも、
なにか新しいの命と生活を共にするときも
無意識の世界で
事前にやりとりが
行われているのかもしれない。と思った。
夢の中で体感した
彼ら願いと幸せと命を
重たさでいったら
簡単にぼくがつぶれてしまうくらいのもの重たさ。
軽トラにはねられたような衝撃だった。
彼らを引き受けるに値する
真剣さを獲得しなければと思った瞬間だった。
当たり前の話なのだが、命は重い。
僕らがお金を出すから飼えるとか、
子どもを作るから産まれるとか、
そういう話だけじゃなくて、
彼らの望みや、希望を最大限に
満たしてあげれるのか。ということを
僕らは自身にしっかりと自問しなければならないのだと思う。
もちろん猫は話せないし、
まだであってもないのだから、現実として
僕らが希望を聞き出すことは出来ない。
しかし、想像しようと
感じ取ろうとすれば限界は超えられるのではないかと思うのだ。
それはどんな形で実現するかはわからないけれど、
僕らは見えない世界に対して
無頓着すぎて
見える側だけを扱えばいいと思っている。
この状態では仮にできるとしても
何も獲得できないだろう。
ものすごいファンタジーな話ではあるが、
仮に、もし、
そういった我が家にやってくる前の事前協議を
しっかりと行っていれば
かなり不都合、無理解、不和が
つまりミスマッチがなくなるのだと思う。
やってみて違った!がたくさん起こる為に
僕たちは多くの生命を幸せにできていのかもしれない。
無責任にこどもをつくってしまったり
ペットをかって捨ててしまうのは
結局のところ命や、特に
「彼らの願い」に無頓着で
こちらの都合ばかりが優先させられてしまっているのではないか。
ニートや引きこもりが社会にたくさん増えてしまったのは、
教育の失敗であると同時に
親と子どもの関係性の失敗であると思う。
この時も同じように
「彼らの願い」を聞くという姿勢は
非常に有用ではないかと思う。
常に問いかけていくという姿勢が必要なのだが、
これが問いかけではなくて、
押しつけになるからこじれるのだなと思う。
かれらには彼らの希望と、願いがある。
それを成就させてあげられなくとも
せめて「どんな希望をいだいているのか」知ってあげることはできると思う。
そしてそれを一緒に修正したり、相談したりしながら
共に生きる姿勢が「幸せ」には必要なのだと思う。
これがどこかで無関心になってしまったり、
逆に過干渉になるからよくないのだと思う。
そして、十分にそれを行うことができなかったら、
きっと心も大人になれないのだと思う。
結局、体は成長しても
誰かと共に生きて、経験を共にしているという感覚が
どこかでぷっつりと切れるから、
心が成長を止めてしまうのだ。
彼らがどんな願いをもっているかは、
幼いときから、できるのであれば
姿勢だけは、産まれてくる前から
真剣に感じ取ろうとするべきだと思う。
こうすることで、
実際彼らが目の前にやってきた時にも、
彼らの行動、言葉を真に受けない姿勢が養われる。
本当はどうしたいを見抜ける目が養われるのだと思う。
なんせ子どもは生をうけてきた瞬間に
だいたいのことを忘れてしまい、
世の中のことを知って、
「元の願い」に近しいものを再構築する。
しかし、世の中にすでにあるものを
使うのでどうしても誤差のようなものがでてくる。
この元々抱いていた願いを導き
どのような生き方を描いていくかを
サポートするのが親の役目なのだ。と
今回の夢でわかった。
当分はそんな予定もないのだが、
いつか命を受け入れるときは
このことを忘れないでおきたいと思った。

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