田口ランディさんの「逆さにつるされた男」を読んだ。
この本は地下鉄サリン事件で
サリンを巻いた死刑囚の
方と
田口さんの交流がきっかけで
書かれた本で、
内容もそのまま、
主人公(作家)
と死刑囚のYさんとの話だった。
一番自分が感じた事は
「人の殺意とは何なのだろうか」だった。
田口ランディさんが
メメントモリの著者、
藤原新也さんとの対談で
「自分は被害者側の作品ならかけるけど、加害者側の話は入りこみすぎて怖いからかけない」と
言っていたのが記憶に残っていた。
逆さにつるされた男では、
この怖い事を
やったのだなぁと思った。
人は状況がそろっていれば、
加害者になり得る。
「非日常に感じてるかもしれないけど、ものすごく近いところにある。」と言われた気がした。
ここで「人を殺したいとか殺害したいなんて思わない。」と
はっきり断言できたらいいいのだが
、
左側から「殺してやる」と歯茎が見えるくらい歯を食いしばりながら
顔を、世の中と自分に
つきつけてくる
幻聴がいるので、
これに自分の気持ちや怒りが混ざって
いつか人を殺したりしやしないだろうか少し怖いと思っていた。
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先日から鶴見俊介さんにはまっていて
「ノーム・チョムスキー」という鶴見さんが翻訳した本があって読んだのですが
、テロとか戦争のこと、この事の流れが書かれている本だ。
ものすごく暗いことを
書いているはずなのに
とてもライトで悲壮感がなかった。
悲壮感より達観なのかもしれない。
読み終わって
不謹慎にも「人間て面白い生き物なんだな」と思ってしまった。
次元が違いすぎて、
「ここまでやるか。」というくらい残虐で、正気じゃない事ばかり。
しかも、ものすごく冷静に事がすすんでいく。
大人が醜くいがみあって、
本気で殴り合いをしている所すら
見た記憶がないのに、
911のテロであったり、
都市まるごと消せる兵器をつくっていること、
まったく想像力が追いつかないからか「面白い」と思ったのかもしれない。
何をどうやったら
そこまで憎めるのか。
殺せるのか。
本の中で、興味深かったのは、
虐殺された国は
犠牲者を数えているが、
虐殺した側はまったくそういう記録を残さない。
テロリズムの背景に兵器の売買と
金があること。
金の為に人を、膨大な数を殺す。
という事だった。
「システムエラー」だと反芻していると感じてきた。
人間が面白い生き物ではなくて
人間に起きているシステムエラーが興味深いと感じているのに気がついた。
(悲壮感でも、「こんな事おかしい!やめなくては!」でもなく
興味深いと思わせる鶴見俊輔さんと、
ノーム・チョムスキーのすごいところなのかもしれない。)
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生きることを丁寧に考え出すと、自然と死の事を考えてしまう。
「どんな死に様がいいか」について考えが終わって、ものすごくすっきりした。
答えは単純で
自分が好きな様に、好きなことをして生きる。
という平凡なものだけれど
いろいろと本を読んだり、
人の考えにふれて
なんとなく手元に
「こんな生き方がしたい」と
感触のようなものが
イメージできるようになった。
これが多分幸せの形で、
これを現実に再現していけばいいのだと思うと、肩の力が抜けた気がした。
これまで霧に覆われていた
自分の死、自分の生が
晴れやかになった後に
隣にある「命を奪う理由」が
すごく目立ったように思った。
「人が人を殺す」ということに疑問を感じていた。
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人間のシステムエラーに興味がある。
この興味はきっと、
「その様に設計されてるはずがないのに」という前提があるからだと思う。
これは僕の思い込みかもしれないが、
「システム通りに稼働して虐殺した」
のであれば、
興味がわくはずもない。(と思いたい)
逆にいうと、
人はたくさん殺しすぎてきたのだと思う。
けれども、なぜ殺したのか。とか、
なぜ虐殺したのか。
エラーの正体が掴めていない。
これに興味を持つことはおそらく
大切だ。
死に際を考えて生きる様に
エラーを知る必要がある。
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